舞踏六人衆 第二夜

自分は舞踏を分析的に観てきたわけではない。かなり好みというものが偏っていて、ニュートラルな批評ができるかどうか、疑わしい。そもそも、舞踊に批評が可能なのか、これは真剣に考えたほうがいい。舞踊批評家を名乗るためには、最低限、身体技法について精通していなければならない。身体を動かさない批評家などナンセンスの極みだ。骨と筋肉の関係、身体構造への科学的知見などを含め、批評家であれば、身体への構造的な関心が必要だろう。それは自分自身の身体を使って知ることなしに、舞踊を知ることはできないだろう。ましてや身体技法を知らなければ、舞踊を批評することは不可能だろう。ダンサーがいまどのように身体を動かしているかを、分析的に観察する能力がなければ、批評家を名乗ることはできないだろう。

私はそのような意味で、観察者の眼としてこのブログを書いているけれど、舞踊批評をしているつもりはない。私はそれほど、身体技法に関して、分析的な眼をもっているわけではない。おそらく、自分自身の身体を知ることなしに、身体技法の何たるかを知ることはできないだろう。そのことはわかっており、そのことを課題として、そのうえで私は、身体表現の観察者、探求者、愛好者でありたい。私は一人のアマチュアとして、身体表現の同伴者でありたい。それだけを願って私は舞踏を観続ける。なぜだろう、何のために、それを私は言葉にしえない。ただ好き、としかいいようがない。

さて、11月17日、「舞踏六人衆 第二夜」、テルプシコール。
木村由「岸へ向かう」
藤井マリ「空地Ⅵ H-akuchumu」

なんといっても、藤井マリの音響・戸田象太郎の音世界を愉しんだ。トダゾー最高! 「雪が降る~」と調光室から歌って、ピンポン玉をアメアラレと降らせた戸田のアクションは、コラボレーションに相応しく、空間を開いてこねて、流し込む、音響家の手さばきが見えて、あらためてこの人の才能を堪能した。藤井マリのダンスは、空間に分け入っていくように両手を広げ、臆病そうに表面を撫で、その裏側に入っていきたいという衝動を抱えながら、立ち尽くし、足踏みをし、揺らめいていた。絶品だったのはあのヘナチョコの倒立で、ヒョヒョッと手を着いたかと思うと、グーンッと足を伸ばし壁際に逆立ちしてしまったところだ。キモチいい~感じが伝わってきて、あそこは好きだった。アメアラレのピンポン玉とどうカラムかと思われたが、戸田の流し込んだ大音響に身体をノセ、夢遊病者のサーフィンのように背中を見せたところは、メッチャクチャカッコ良かったが、その後に何か、なかったか。壁の中央に、戸田の美術としてピカチューだのゲーセンの玩具の類がビニール袋に入れられブラ下がっていたのだが、あれをビリビリと剥がしてほしいと思ったが、そのあたりは擦過するのみで、踊りはフワッと終わったという印象。音の配色はすばらしかったが、ここで何が立ち上がっていたのか。全速力で後退していく藤井の身体のせめぎあいこそが見所であったかもしれない。

木村の舞踏は、申し分のない丁寧さで、それ以上書くことはない。音楽の太田久進も良かったと思う。ただ、女、ちゃぶ台、海という設定が、あまりにも当たり前すぎて、作品としてのつまらなさが残った。暗転の後、壁際に立って、もう一度光の中で引き攣れたものが観たかった。彼女はまだ何も脱いでいない。

隣にChe-SHIZUの向井千恵さんが座られ、数年ぶりにご挨拶。今度どこかで聴きに行こう。
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by planet-knsd | 2007-11-18 14:54 | その他
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