ゼロ次元復活の噂はさまざまなところで聞いていた。加藤好弘をオルガナイザーとする前衛芸術集団ゼロ次元は、戦後身体表現史において無視しえない存在だ。私は60年代のゼロ次元を同時代的に知らない。金井勝監督『無人列島』(1969年)や松本俊夫監督『薔薇の葬列』(1969年、ピーター主演)でその存在を映像として観ているが、それは後年のことであり、ゼロ次元を生で体感しているわけではない。だから私にとってはゼロ次元は謎の集団であり、その存在を的確に評することはできない。
10月11日、友人から情報を得て、アップリンクでゼロ次元の映画『タントラ儀式物語』(2007年)、『ゼロ次元儀式映画』(1972年)を観、加藤好弘さんの話を聞くことができた。まずゼロ次元とは何かといえば、「人間の行為を無為(ゼロ)に導く」ことを標榜し、「儀式」と称する全裸パフォーマンスを各地で繰り広げたことで知られる。1970年の大阪万博の際には「万博破壊共闘派」を結成し、高度消費社会(人類の進歩と調和)に絡めとられていく芸術に対し、「反万博」の旗を鮮明に掲げた。加藤は、「近代に対する革命」、あるいは西洋人化する日本人への抵抗として、全裸となることで地下活動を行い、事実として主要メンバーが当時「猥褻物公然陳列罪」で逮捕されている。加藤は「文化テロリスト」と自らを呼び、今も「裸になって近代と戦え!」とアジテーションを続けている(現在、71歳)。 映画は、『タントラ儀式物語』、『ゼロ次元儀式映画』の順番で上映されたが、60年代~70年代のゼロ次元の活動を記録した後者の方から先に触れよう。この映画は、「仮面首吊り儀式」「超音波作戦」「防毒面全裸歩行儀式」「反万博狂気見本市」「いなばの白うさぎ」など、ゼロ次元のハプニングの映像を二面マルチ画像で見せ、これが永遠と続いていく(秋山祐徳太子、金坂健二らが出演)。裸体の男女が数珠つなぎとなり、片足を交互に上げながら進行していくアクションが印象深いが、私はこれを裸祭りのように見た。あるいは、裸形のジグザグデモのようにも見た。全裸という表現が今よりも衝撃的な効果をもっていたことは注意すべきである。ゼロ次元はこれを60年代末の政治闘争の渦中に、いわば裸の爆弾として都市の只中に炸裂させたのだ。 ゼロ次元は、60年代末のベトナム反戦を軸とする世界的な反帝国主義・反植民地主義闘争のなかに生まれた芸術運動といえる。それは「反近代」の裸体主義であり、加藤に内在するヒッピーイズムやドラッグカルチャー、インド・タントラ密教への接近から導き出された「反西洋」の《アジアンタリズム》がある。 加藤は、平沢剛(映画批評家)との対談でこのように発言している。 「オリエンタリズムとは西洋から見た物珍しさを指すわけですが、僕が《アジアンタリズム》と言うときには、ベトコンのイメージがあります。彼らのように次々と近代を崩すようなアーティストの出現をめざしているし、穴掘ったりしてアングラとも繋がりますから(笑)」(「裸になって近代と戦え!」) 加藤ははっきりと地上権力に対する地下活動として「アングラ」を語っており、それはゼロ次元の復活が、反グローバリズムに対する身体の抵抗であることを示唆してもいる。「反近代」の裸体主義とは、資本の論理に肉体(個人)を従属させていく高度資本主義社会に対する肉体の叛乱として裸体を武器とすることであろうが、裸になればいいという単純なものではなく、加藤のなかでは原始的な肉体讃歌の思想があるように思う。呪術的な色彩を帯びた「儀式」としてゼロ次元のパフォーマンスはあり、そこには加藤のインド体験や幻覚体験によって培われたタントラ密教への共感があるようだ。それが色濃く出ているのが『タントラ儀式物語』という映画である。 80年代に行われたというこのライブ・パフォーマンスの映像は、ロックバンドの演奏をバックに、半裸の男女が股間を摺り合わせたりする、集団的で性的な秘儀が繰り広げられる怪しげなものだが、カオティックな身体接触が執拗に描かれながらそこにチベット密教の性的な合一の絵がモンタージュのように重なっていく。加藤は「女性器崇拝」を公然と言い、タントラ密教と農耕シャーマニズムを結びつけようとしているようだ。 「タントラとは、人間と自然との『女性器の構造』の秘密を開く呪術であった。逆三角形、マンダラに描かれた七ツの蓮華、チャクラの花弁……などはことごとく女性器の象徴図形である。農耕シャーマニズム(呪術)とは、女と同一視された、「大地自然の原理」を、人間の身体のなかに覚醒させるための、女に溶解する、女になるための死にもの狂いの行為であった。だから、己を無にして、自己を空にせよ、といいつづけて、身体を「水田」に死にもの狂いで溶解していった「百姓のシャーマニズム」の思想はタントラを故郷としていたのである。」(加藤好弘「心的子宮・タントラ論」) このように加藤は、日本人の身体の故郷をアジア的多神教の文化に求め、身体の覚醒装置として、裸形のアクションをオーガナイズしようとする。ゼロ次元のパフォーマンスは、日本古来の裸祭りに通じているようにも思え、またインドの多神教世界に想を得た呪術的で性的な儀式をパフォーマンス化している。 会場では上映後、復活したゼロ次元のパフォーマーが登場し、男は半裸で床に並び、その上を防毒マスクを付けた水着姿の女が「いなばの白うさぎ」のように歩くというパフォーマンスが行われた。 私はこれをもってゼロ次元を体感したとは思えない。映像のなかの、砂浜で裸の男女が戯れるシーンや、風景を切り裂くように裸の男女が旗を持って進むシーンには官能を覚えたが、パフォーマンスの現場としてさかしまの風景となった裸体の強度を見たわけではない。ゼロ次元には関心を寄せつつ、21世紀の身体の冒険がどのように可能か、考えていきたい。 なお、ゼロ次元の『タントラ儀式物語』『ゼロ次元儀式映画』の上映は、アップリンクの「性と文化の革命展」(10月6日~21日)の一環として行われた。 http://www.sig-inc.co.jp/rsrff/ 加藤好弘氏略歴 1936.12.5 名古屋市生まれ 1959 多摩美術大学美術学部絵画科卒業 1963.1 ゼロ次元 (以下省略)「狂気ナンセンス展」はいつくばり儀式(愛知県文化会館美術館) 1963.3 「乳頭布団寝体式」読売アンデパンダン 1964.7 「これがゼロ次元だ」(内科画廊) 1964.9 「日本超芸術見本市」(平和公園)九州派、ダダカン、アンドロメダ他参加 1965.8 「見世物小屋ベトコン儀式」アンデパンダン・アート・フェスティバル(岐阜・長良川一帯他) 1965.10 「山手線女体包装運送式」 1966.3 「尻蔵並列式」(モダンアートセンター・池袋) 1967.3 「仮面首吊り儀式」(都内車両、目黒-新橋) 1967.5 「奇脳舌(きのした)サーカス見世物小屋大会」(代々木メーデー広場) 1967.8 「超音波作戦」(渋谷超音波温泉) 1967.10 「花電車防毒作戦」(浅草キャバレー花電車) 1967.12 「防毒面全裸歩行儀式」(新宿東口) 1968.3 「狂気見本市」(上野・本牧亭) 1968.7 映画「にっぽん’69 セックス猟奇地帯」出演 監督:中島貞夫 1968.8 映画「シベール」出演 監督:ドナルド・リチー 1969.2 映画「無人列島」出演 監督:金井 勝 1969.3 映画「薔薇の葬列」出演 監督:松本俊夫 1969.3 「万博破壊 狂気見本市」(京都・男爵) 1969.4 万博破壊共闘派の活動に入る。 1970-1972 映画「いなばの白うさぎ」加藤氏自ら監督となる。 その後インド、ネパールへ活動の場を移す。 1977 「夢タントラ研究所」設立 夢四門構図の発見 1980.2 「タントラ構造論ー身体の宇宙図」を美術手帖に掲載 1980.11 「夢の神秘とタントラの謎」日本文芸社 1990.10 ニューヨークへ移住 襖絵による夢物語「ペニスをつけた女達」シリーズに着手。 その後8年間取り掛かる。 1998.10 日本に帰国 「ブルックリン夢解読日記」執筆中 2001.6 個展「立体夢タントラ装置マンダラ(襖絵マンダラ)」展(ミヅマアートギャラリー)
by planet-knsd
| 2007-10-15 00:08
| ゼロ次元
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PROFILE
writer&editor 1957年2月18日、東京生まれ。生活者の視点から、文化・社会・芸術のさまざまなテーマを執筆&編集。「夜想」(ペヨトル工房)、「OMNI」(旺文社)、「自由時間」「BRUTUS」「ダカーポ」「クロワッサン」(マガジンハウス)の編集者を経て、2003年からフリーランスに。石川真生著『沖縄ソウル』(太田出版)、高良勉著『ウチナーグチ(沖縄語)編集帖』(NHK出版・生活人新書)、橋本克彦著『団塊の肖像 われらが戦後精神史』を編集。著書に『寿[kotobuki]魂』(太田出版)。ライフワークは、「芸能探求」と「琉球独立論」。ダンス、身体表現を偏愛する。身体表現批評誌『Corpus』編集委員
planet-knsd@cap.ocn.ne.jp blog「國貞陽一の<脱・出・系>コラムマガジン」 http://blog.livedoor.jp/planet_knsd/ カテゴリ
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